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ロカール探偵がゆく

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第3話  猛吹雪の中、ある人物に会いに札幌へ。

 

前回長原相談役が話していた上遠野徹さんは、かなり有力そう。
そこでロカール探偵、息子さんで建築家の上遠野克(かとのこく)さんを訪ねることにします。
社員やOB から寄せられている情報とも照らし合わせつつ、
見えない糸をたぐり寄せるが…。

 

旭川と東京、札幌をつないだWeb 会議で作戦を練る。

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─── 社内からもいくつか情報が集まっているんですって?


アシスタント
はい、えっとまず、カンディハウスの営業部長だった長池さんから、さっそくこのようなメールが届きました。
「カンディハウスの佐橋元常務、五十嵐元経理部長は、ご友人知人からのご紹介を受けて販売したかも知れません。
伝票で個人名が残っているとしたら、旭川市内在住の方ですよ!
その次に確率が高いのは当時の札幌支店ですが、これは道内の担当役員である吉本さんしかわからないと思います」

 

──── 吉本さんに当たってみた?

 

アシスタント
はい、さっそく調べてくれたんですが、「入社の早い私でも、使っているお客さまの記憶がないな…。
帳簿を繰ってみたが、残っているのは昭和49 年からだから、その前は調べようがないんだよ」と残念そうな返事でした。
それに対し先ほどの長池さんからふたたびメールがあって、「主に問屋さんからの注文で出荷していた時代なので、
ユーザー名はさすがの吉本先輩も相当難易度高いでしょうね。
カンディハウス元常務の田中博さんは、最初にロカールを小田急ハルクに展示したとき、
フジファニチャーの社員だったはず。伺ってみてはいかがでしょうか?」

 

─── う~ん。いちばん確率が高そうな人は誰だと思う。

 

アシスタント
この段階では、やはり長原相談役が話していた上遠野さんではないでしょうか。
徹さんが亡くなって現在は息子さんの克(こく)さんが経営されていますが、
徹さんは長原相談役の自宅を設計された方で、大変親しい関係だったようですから、何かご存知かも知れません。
私から上遠野建築事務所を担当している道央支店の白鳥マネージャーに連絡して、
インタビューを申し入れてもらいましょう。

 

 

 

 

こうして2014 年が明けたばかりの1 月11 日。

吹雪で列車の運休が相次ぐ中を、ロカール探偵は
マフラーでぐるぐる巻きになりながら札幌へ向かったのでした。
 

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車窓からの景色は、まっしろで視界ほぼゼロ。

ああ北海道。

 

 

札幌駅ではカンディハウス道央支店の白鳥孝マネージャーが待っていてくれて、
社用車で川沿地区にある「上遠野建築事務所」へ。

なんと、途中で青空が!ロカール探偵、晴れ女?

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森の中に分け入って行くようなアプローチが素敵です。

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「左が事務所、右がご自宅です」と白鳥マネージャー。

 


上遠野建築事務所にて。

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たくさんの木の椅子が置かれたオフィス。

 

─── はじめまして!

今日は、克さんが私たちが探しているロカールについて、
亡くなられたお父さまの徹さんから何かお聞きになっているのではと思い、お訪ねした次第です。
カンディハウスの長原相談役は、お父さまがその椅子をお持ちだったのではとも言っていました。

 

克さん
この話をもらってちょっと記憶を辿ってみたんだけどね。父が竹中工務店の設計部を辞めて独立したのが1971 年。
平屋を一軒借りて製図板を並べてね。そのときから10 年間ずっとアシスタントをしてくれていたのが
圓山彬雄さん(現在「アーブ建築研究所」所長)なんだけど、
その圓山さんが独立することになったからと、僕が呼び戻されたわけ。
僕は当時、東京の計画系の設計事務所にいたんだけど、辞めて札幌へ帰って来たんだ。もう33 年になるんだね。
それで、父が独立して事務所をつくるときインテリアセンター(カンディハウスの前身)の家具をたくさん入れたんだよ。
自宅ではその前から使っていたし。そのどちらかにロカールがあったかも知れない。

 

 

─── やはりそうでしたか!それで、今どこに?(キョロキョロ)

 

克さん
ああ、ここにはないんですよ。東京にいる妹が持っているかと思って、
「こんな椅子がそっちにないか」と聞いてみたけど、「家にはないわね」という返事。
そうするうち、うちの事務所で施工写真などを管理している所員が
「この椅子が写っていた物件があったような気がする!」と言い出したんだ。

 

─── それでそれで?!

 

克さん
探してみたらあったんだよ。

 

─── あったんですか!!

 

克さん
いや、写真がだよ。(写真を見せて)
これは父が1969 年に設計した札幌の「南部医院」の院長宅。
南部家は父と交流が深かった家族なんだけど、今は千葉県に転居してあそこには誰も住んでいない。
建物はたぶん息子さんが管理しているんじゃないかな。中の家具がどうなっているかまではわからない。
どこかに預けているか、処分してしまったか…何せ40 年経つと代替わりするでしょう、なんでも。
家は残っても家具は大体入れ替わるよね。電話や住所はわかるから、あとで連絡してみてあげるよ。

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南部医院の院長宅。アームチェア3 脚とスツールが見える。
キャビネットなどの造作家具もインテリアセンター製と思われる。

 

─── お父さまは、設計された家の家具もご自分で選んでいたのですか?

 

克さん
家のプロポーションやテイストに合ったものを勧めていたんでしょうね。
ただ、ロカールはその1 件限り。
作家性やデザイン性という面でまだ手を加える余地がありそうな、長原さんの新作だったでしょう。
ロングセラーでもないし、評価するだけの軸がまだ少なかったんだろうと思う。

 

─── はい、北海道では売れなくて、お父さまのアドバイスで東京へ持って行ったと聞いています。

 

克さん
東京には売る人も買う人もいるからね。そうした「視点」を持った人が多いところだということ。
北海道とは、興味を持つ人の密度が違うんだよ。
北海道だとまだまだ、レストランでもインテリアショップでも、いい家具を使って商売が成り立つところが少ない。
だから目に触れる場も少なくなるし、ごく一部の家庭で愛用されることはあっても文化として育っていかないんだ。

 

─── 話は少しずれますが、家具は今、施主からするとどういう存在なのでしょう。

 

克さん
以前は、家にお金をかけてしまって家具まで回らなかった。
よほどお金がないと、家が完成したあとに施主が残った予算の中で買うしかない。
でもこちらとしては、合わない家具を入れないでほしいのが本音だね。
そうそう、(作品集を開いて)父が1971 年に建てた「大滝邸」にはエピソードがあってね。
豪邸だったこの邸宅に、各部屋ごとに合う家具を選んでいったら、
あまりに大量で小田急ハルクの商品が半分になったって(笑)。
それはさておき、今は少し変わってきていて、若い人は家をローコストにして家具にお金をかけるようになっている。
だから若い家族の方が最初からしっかりしたものを入れているね。

 

─── お父さまと長原相談役との出会いなどはご存知ですか?

 

克さん
父は勤めていた竹中工務店からアルバイトが認められていたらしく、その間に個人邸をけっこう建てている。
北海道グラフィックデザインの祖、栗谷川健一さんの自宅や、妹の学校の先生に頼まれたこともあった。
当時、建築施工会社のアラゼンがデザインスクールを開いていて、
父は工芸作家でデザインに造詣が深かった伊藤隆一さんたちと一緒に講師をしていたんだ。
カンディハウスの長原さんと出会ったのは、おそらくその頃じゃないかと思う。
長原さんは、いい木を探していたみたいで、
父は道産のナラ材でつくったらいいとか、たぶんそんなアドバイスをしたんじゃないかな。

 

つづく

 

 

第4話では、インタビューが上遠野克さんとの家具談義に発展。

「家具のありよう」のお話はお見逃しなく!

 

インタビューを終えて上遠野家をあとにしたロカール探偵、
「外観だけでも!」と南部医院へ向かいます。

次回は3 月初旬アップ予定です。